【 概 要 】−臨済寺の創建は享禄年間、今川氏親が出家した栴岳承芳のために開いたのが始まりとされます。当初は善得院と称していましたが天文5年、家督争いで勝利した今川義元が兄である今川氏輝の菩提を当寺で弔い氏輝の法名から臨済寺に改称し、太原崇孚雪斎を招いて中興開山しています。臨済寺は駿河守護職今川家の菩提寺、後奈良天皇天皇の勅願寺として篤く庇護され寺運が隆盛し、当地方の臨済宗の中心的な寺院として大きな影響力を持ちました。又、雪斎は義元の片腕として軍事や外交、政治などで手腕を発揮し、徳川家康が今川家に人質になっていた時代に師事したことでも知られています。永禄11年、武田信玄の今川攻めより多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失、さらに外護者を失い一時衰退しますが天正10年、正親町天皇の勅願により領主となった徳川家康が再興し境内の再建に尽力しています。現在の本堂は江戸時代初期に再建されたもので、桁行22.7m、梁間16.8m、一重、入母屋造、こけら葺、庭園は戦国時代に徳川家康が再興した際に作庭されたもので、山腹の傾斜を巧みに利用した池泉回遊式庭園です。本堂は国指定重要文化財、庭園は国指定名勝にそれぞれ指定されています。
|