【 概 要 】−府八幡宮は奈良時代に遠江国司桜井王により創建されたと伝わる神社です。元々は遠江国府の中に鎮座した事から国府八幡宮と呼ばれ、それが転じて府八幡宮と呼ばれるようになったそうです。室町時代に入ると秋鹿左京亮朝治が府八幡宮の神官に任命され以後、長きに渡り府八幡宮の祭祀に携わっています。秋鹿氏は橘諸兄を祖とする一族で、後裔である出雲守朝芳が出雲国秋鹿郡に配され、地名に因み秋鹿氏を名乗るようになりました。さらに時代が下がった秋鹿朝慶は、鎌倉幕府の第4代征夷大将軍鎌倉将軍藤原頼経に信認され、藤原姓を賜っています。南北朝の動乱の際に秋鹿左京亮朝治が室町幕府初代将軍足利尊氏に従い功を挙げた事から遠江国羽鳥庄の貴平郷、中泉郷、南郷の地頭と府八幡宮の神官に就任しました。戦国時代には今川家に従っていたものの、今川家が没落すると徳川家に転じ、天正元年(1573)には秋鹿直朝が自分の屋敷を献上し徳川家康の中泉御殿の造営に尽力しています。天正18年(1590)に徳川家康が豊臣秀吉による奥州仕置の一環として関東地方に移封になると秋鹿直朝も随行し府八幡宮を離れています。しかし、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの功により旧領復帰が認められ再び府八幡宮の神官に就任しています。
|