【 概 要 】−可睡斎の創建は応永8年(1401)、大路一遵が久能領主久野宗隆の外護により境内を整え師である恕仲天ァ禅師(道元禅師7代の法孫)を開山者として迎えたのが始まりとされます。当初は東陽軒と称していましたが11世等膳が今川家の元から徳川家康を国元に戻した功により可睡斎の称号と伊豆、駿河、遠江、三河4ヶ国の総録所、10万石の格式を得ました。境内も家康によって整備され広大な境内に様々な堂宇が建立され東海地方有数の禅林として寺運も隆盛しました。掛川藩からも庇護され寛文2年(1662)に掛川藩の藩祖井伊直勝が掛川城で死去すると菩提寺を可睡斎と定め跡を継いだ井伊直好が寺領10石を寄進しています。秋葉三尺坊大権現は当初、秋葉山に祀られていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により、改めて火之迦具土大神を勧請して秋葉神社と秋葉三尺坊大権現を祀る大登山秋葉寺に別れ、その後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により秋葉寺は明治6年(1873)に廃寺に追い込まれ、それに伴い秋葉三尺坊大権現が可睡齋に遷され、以来火防霊場として広く知られるようになりました。可睡斎は医王山油山寺、法多山尊永寺と共に遠州三山に数えられています。
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