静岡県・富士宮市・西山本門寺

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【 概 要 】−西山本門寺は康永2年、日代上人が開山した寺院です。日代上人は日蓮上人(日蓮宗の開祖)の高弟で六老僧の1人に数えられた日興上人の下で厳しい修業を重ねた高僧で、当初は北山本門寺の住職を務めていましたが領主である石川氏と対立し、現在地の領主である大内安清から召還を受け西山本門寺を開きました。中世以来、寺運が隆盛し富士五山や興門八本山に数えられ、13世日春上人は甲斐武田家から迎えられたことで武田家から庇護、18世日順上人は千葉原家から迎えたことで後水尾天皇の姫である常子内親王の帰依を受けた事で下馬下乗の禁礼を建てることを許されました。20世日圓上人は水戸徳川家の出身だったことから幕府から庇護され歴代将軍から朱印状を賜わっています。境内背後には織田信長の首塚と伝わる塚がありヒイラギが植えられています。伝承によると、天正10年(1582)6月2日、明智光秀の謀反により逗留先だった本能寺で自刃に追い込まれた織田信長の首は、本因坊日海の指示により原志摩守宗安が父胤重と兄孫八郎清安の首と共に燃え盛る本能寺から持ち去り西山本門寺の境内に埋め、その後に塚を設けて目印としてヒイラギを埋めたと伝えられています。本因坊は碁打ちの名人とされ、同じく名人だった鹿塩利賢と本能寺で碁の対局を行い信長も観戦し、「三劫」と呼ばれる極めて珍しい状況となり引き分けとなりました。「三劫」は悪事や不吉の前触れとも云われていた事から本因坊は帰った後も胸騒ぎにより中々寝つけられず、火の手が上がると逸早く対処出来たとも云われています。
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西山本門寺(富士宮市):周辺の見所

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